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大阪高等裁判所 昭和45年(ネ)860号 判決

控訴人 大阪商工団体連合会

被控訴人 国

訴訟代理人 高橋欣一 斎藤光世

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一求める裁判

(一)控訴人

原判決を取消す。

被控訴人は控訴人に対し金一五万円及びこれに対する昭和三九年一一月八日から右完済まで年五分の金員を支払い、かつ、左記の謝罪文を交付せよ。

塩崎潤は、国の機関である大阪国税局長として、大阪商工団体連合会に対してつぎの諸点について故なく誹謗しました。

一  貴会が小規模零細業者の生活と権利を守る立場から生活費課税反対等正当な要求を掲げて運動しておられるにもかかわらず、塩崎潤は昭和三九年三月三日前記要求を一般国民の納税意欲を低下させる意図をもつ不当な行為である旨記載した要求書を貴会宛に送付し侮辱しました。

二  塩崎潤は、右同日大阪国税局庁舎内において朝日新聞社、毎日新聞社、読売新聞社、産経新聞社等の各新聞記者十数名に対し記者会見して、前記要求書と同趣旨の発表をし同日付読売新聞夕刊、同日付毎日新聞夕刊等に「反税看板の撤去、国税局商工団体連に警告」「納税意欲低下さす立看板、大阪国税局、商団連に撤去要求」等の見出しのある記事を掲載させ、貴会が反税団体であるかの如き印象を与え、貴会を侮辱しました。

国は塩崎潤の前記行為につき遺憾の意を表明し、ここに大阪商工団体連合会に対し深甚な謝意を表します。

昭和 年 月 日

代表者法務大臣 小林武治

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

(二)  被控訴人

主文と同旨。

第二当事者双方の陳述、証拠の関係は、次に記載する外、原判決の記載を引用。

(一)  控訴人の陳述

(1)  本件争点の第一は、本件立看板の内容をどのように理解し、評価するかにある。

原判決は、本件立看板の内容と意義について全く理解を示さず、その掲出行為の意義について誤解をし、不当な判断をみちびきだしている。

原判決は、塩崎らの本件立看板掲出行為に対する評価と判断、いわゆる「納税意欲を低下させる」ものとの弁解につき、この言い分に追随し、その真実性並びに当否を客観的に評価することを怠り、ために、同人らの要求書送付、並びに新聞記者発表の真の動機、目的を全く誤解し、もつて、同人らの違法性ある本件所為を正当化しているのである。

これらのことは、言論、表現活動の意義、結社の自由の意義を正しく理解せず、かえつて、現在の重税政策等に対する国民の批判と要求を正しく理解しようとしないところに起因するものである。

(2)  民主商工会に対し、国税当局は、計画的、組織的に破壊攻撃をしている。

控訴人は、違憲、違法な税制や税務行政をただし、中小零細業者の営業と生活、権利を守るため正義の戦を展開して来たのであり、これに対し、被控訴人側が公然かつ隠微に色々な方法を駆使しながら、あくまでも自己の反憲法的かつ違法な税務行政を貫徹する手段として民商つぶしを行つてきたこと、まきに、本件における被控訴人の所為はその一環としてなされたことを裁判所は正当に評価すべきことを強く主張するものである。

昭和三八年の民商弾圧が開始されるまでの国税当局と民主商工会との税務行政の民主化をめぐる関係は、きわめて健全かつ円滑に進められていた。

国税当局は、民主商工会の税務行政民主化についての要望に対しても、そのつど話し合いの場をもつて改善につとめ、大阪国税局でも直税部幹部を中心にしたメンバーと全商連関西ブロツクの幹部とが大阪国税局で定期的な会合をもち、意見交換を行い、また下部においては、各税務署で各地域の民商幹部と話し合い、その場で問題の解決をはかる努力が払われ、また確定申告後行われた事後調査についても、事前に調査期日や場所等についても連絡し、さらに、調査後はその調査結果を本人に説明して、納税者自らが修正申告を提出するよう所謂修正申告の勧奨を行うなど、決して突然に更正処分を乱発するようなことはなかつた。

このような税務行政上の比較的民主的な慣行が確立している中で、昭和三八年六月、前年度申告所得税に対する事後調査が開始されたときから、これらの民主的慣行が突如として破壊されてきた。

調査に際しての事前通知のとりやめ、役員、事務局員の調査への立会の禁止、署員二人一組による強力な調査班の出動、得意先、仕入先、銀行等に対する納税者の同意をえない抜打ち的反面調査、民商会員に対する脱会の働きかけ等露骨な敵対的態度をとりはじめてきたのである。

当時の不当調査の状況を毎日のように記録した東住吉民商の「税務調査日誌」によれば、調査の際、民商事務局員が「なぜ急に硬化した態度をとるのか、いままで通りスムースに話し合おうではないか。」と話しかけたのに対して、相手の署員は「あんた達のいる場所で調査をすれば私は首になる。首になるのはいやだ。」といつて話すのさえさけるように帰つた事実や、民商事務局員が、「あんた達調査をするのが第一の目的だろう。いままで通り協力するから早く調査を進めてほしい。」と申し出たのに対して、「いや、あんた達がいると調査せずに帰れと指示されているので」と早々に帰つた事実が記録されている。

国税当局は、なぜこのような強硬手段を選んだのであろうか。

自民党政府は、昭和三六年税法の整備を名目に、ナチス・ドイツの租税基本法をモデルにした国税通則法第一次案を発表して、「質問検査権の強化」「資料収集権限の強化」「医師、弁護士等の守秘義務の解除」等いわゆる反動的五項目を立法化する企図を示し、徴税権限の反動的強化を図つた。

これに対し反対運動が広がり、政府も反動的五項目を削除せざるをえなくなり、現行の国税通則法が国会を通過し、制定された。

以後、政府、国税局は、反動的税務行政をうちたてるために、国税通則法に盛り込めなかつた前記五項目を、実際の税務行政のなかでなしくずし的に実現することをはかる、いわゆる「国税通則法体制」をすすめ、同時に通則法反対運動の中心的役割をはたした民主商工会を弾圧することによつて、税務行政民主化を要求する全国民的な運動を分断することを狙つて、国税通則法実施第一年度である昭和三八年を期して、民主商工会に対する本格的な攻撃をすすめてきたのである。

そして、当時の木村国税局長官の民商弾圧についての通達がだされ、突如として強硬姿勢の民商弾任が開始されたのであつて、当時の民主商工会の多くの集団抗議等は、この不意打ち的な攻撃に対して従来通りの民主的慣行を要求して行われた抗議行動であり、とくに、昭和三八年になつて民主商工会の活動が活発化してきたために、これに対する国税庁長官の通達がだされたとする国税当局の主張は、主客転倒である。

(3)  民商、大商連は、昭和二八年に「個人事業税撤廃運動」に取組んで成果をあげ、昭和三一年には「売上税の新設に反対する運動」に取組み政府にその新設を断念させ、昭和二八年頃から本格化してきた不況の中で国民金融公庫を中心にした「融資の運動」に取組み、今まで借りられなかつた人達にも借入れできるようにし、昭和三六年に「自家労賃を必要経費に認めよ」の運動に取組み、我が国の中小企業税制を大きくかえてゆく上で、一定の役割をはたした。

(4)  国側の主張する集団申告をはじめとする民商誹謗の五項目について反論する。

(イ) 集団申告について

昭和三七年の確定申告期以前までは、「納税相談」の内容も比較的納税者の主張も認められ、所得のつり上げもある程度の合意に達することがままあつたのである。

しかし、昭和三六、七年頃からは、「納税相談」にゆき話し合い、合意に達しないケースが多く、むしろ、税務職員の側から「この金額で判を押さないのなら申告後更正決定をうつ」という状況がつよまり、税務署の見込額をなんとしても押しつける賦課々税と実質的にかわりない状態になつて来た。

このような中で民商としては、このまま進めば「納税相談」は話し合いの場ではなく、所得見込額を押しつける権力的な課税の場となり、再び「お知らせ」方式当時と同様、納税者の自主申告は認められなくなるとして、納税者の自主申告への税務署の干渉を排除するため、納税者各人が自ら申告書を自主的に提出し、税務署の申告書受領証をもらい、同時に申告税額に基いて署内に設置されである銀行窓口で税額を払込み、自らの納税義務を果すという方法をとつた。

しかし、当時としては、一人一人別々に行つたのでは「納税相談」の場へつれて行かれるので、みんなで一緒にゆこうということになり、お互いに助け合つて、税務署の所得の押しつけから自主申告を守るという方法をみつけだしたのである。

民商会員はすべて中小業者であり、一国一城の主として一つの経営を営み、仮にも人を使い一家を支えているものであり、また、その多くが年令的にも行動力のにぶる四〇才、五〇才台の事業主が多いところからみても、「なだれ込む」等という行動はとれないのである。

(ロ) 調査に対する妨害について

国側挙示の五つの事例の内、第一の城東区の事例のみが、昭和三八年五月の民商弾圧以前のものであり、他は皆二人一組の特別の調査体制をとつて民商の組織破壊を目的とする調査のすすめられている中で発生したものであつて、決して正常な状態とはいえないものである。

むしろこれらは、国税当局の急変した権力由な攻撃に対する抗議であつて、例えば、浪速区の所得税課係長自宅へ抗議に行つたことについても、国側は「調査担当者に威圧を加えた」と述べているが、そうとすれば、二人一組の調査班に訪問された民商会員である業者は、一体税務署から威圧を受けていないというのであろうか、取引先に調査に行かれ、民商会員だから調査しているといわれ、取引先から取引停止を受けた民商会員である業者は、一体どうなるのだろうか、浪速区の例は、税務署では会つてくれないから自宅へ会いに行つただけであり、それを威圧とはいえない。

城東の例にしても、税務行政上の日常的、一般的トラブルに過ぎないのではないか。

さらに重大なことは、原判決が国側の長岡証言を無批判に採用しているが、その中で、昭和三八年七月頃国税庁幹部と国会議員や民商代表亡面談し、その際、「調査者に三度退去を要求してことわれば不退去罪が成立する」と下部に指導しているが、これを是正されたい旨要請していたことが認められるとしているが、このときには、民商代表(全商連代表)は一切国税庁幹部とは会えず、須藤五郎参議院議員のみが面談したのであり、全商連代表が面談していれば、そのようなことを全商連として正式に指導したことはないことをはつきり返答していた筈である。

(ハ) 次に「悪質な宣伝」及び「集団抗議」についてであるが、原判決がとりあげている昭和三八年七月の城東商工会のチラシについてなぜことさら一審で控訴人が多数提出した宣伝物の中から、これ一つのみをとりあげたのであろうか。

当時、このビラが城東区全域に新聞折込みで配布されたが、同区内の国税職員官舎にも入り、これが局幹部の手によつて、大阪国税局の上級幹部にわたされたものであり、直接入手したことから、国側としては、ことさらこのビラのみをあげているものと思われるが、それにしても現場の実状を知らない者が、このビラに書かれである調査実態をみれば、いかにも民商が事実無根のことを書いているかのように思い込むのも当然と思われるような事態があつたのである。

このビラに書かれている事例は、当時民商会員であつたことであり、国側は「承諾もなしに無断で屋内に上り込み」という部分を引用しているが、通常税務職員は調査におもむいた際、納税者本人の明白な承諾なしに、黙示の認諾か又は世間話のうちに上り込むのが一般的であり、氏名、所属課名等をきく納税者は稀である。そのような中で、民商弾圧を目的とした調査をやつたという当時の状況からみれば、国税当局が「事実無根」等と目くじらを立てて否定しなくとも、当然のなりゆきとして認めればよいのであつて、事実を知らせることが悪質な宣伝とはいえないのである。

また「集団抗議」については、裁判所としては、そのような抗議がなぜ行われたかについて、国税当局の責任について明らかにされるべきであり、それなしには正当な評価はできない。

(ニ) 最後に、「過少申告」については、国側の証拠が余りにもずさんであるところから、原判決も充分採用しなかつたところであるが、広く誤解をとくために明らかにしたい。

国側は、他に比して更正決定を受けた件数が多いからといって、民商の過小申告を云々するが、更正決定の内容自体はどうなのであろうか。当時としては、民商会員なるが故に、三千円というわずかな更正税額で更正決定をうたれた会員もあるのであつて、その内容たるや全くずさんで、弾圧のための手段でしかなかつたのである。

その後の不服申立の経過からみれば、五五二件の内実に六五%が原処分を何らかの形で取消しているのであり、さらに、現在大阪地裁で係争中の更正処分取消訴訟の内一五件が裁判所の判決をまたず先行更正処分を取消す減額更正がだされ、また既に判決のあつた事案の内七〇%は民商会員の勝訴となつているのであり(通常税金訴訟の納税者勝率は三〇%といわれている。)、これらの事実をみても、いかに税務署の更正処分の内容がずきんであるかは明らかであり、民商会員の申告を過小申告であるとする非難は、全く事実に反するものである。

(二)  被控訴人の陳述

(1)  申告納税制度のもとにおいては、納税者は、税金を正しく申告し、納期までに納付しなければならないことはわかつていても、所得税の申告納税時期になると、税金は少しでも少く、納付は少しでも遅いことを望むという微妙な心理状態になる。

一方、国にとつても、所得税の申告納税時期は、国家財政上もつとも重要な時期であり、この時期に申告納税が円滑適正に行われる否かは、一般納税者に対する税金の賦課徴収の窓口となつている税務署の最大の関心事である。

このような、納税者にも税務署にも重要な所得税の申告時期を選んで、税務署の面前ないし周辺に、「自民党池田政府の高物価、重税、不況の政治に反対し、すべての商工業者は団結しよう」「自家労賃を認めよ。店主と家族の働いた所得を営業所得と区分せよ」「税金は大企業からとれ。年所得標準家族五人、八十万円以下免税に」「税務署の一方的おしつけ課税反対一納税者の計算した自主申告を認めよ」等の看板を掲げることは、前述のような心理状態にある納税者の納税意欲を低下させ、円滑適正な申告納税の遂行に支障を来たすことは明らかである。

(2)  控訴人及びその傘下商工会は、かねてより、しばしば計画的組織的に集団申告、過小申告、調査に対する妨害、集団抗議、悪質な宣伝等税務行政に対する妨害行為やいやがらせを行つてきたが、特に昭和三八年に入るとともに右の活動は一段と活発化し、被控訴人の税務行政事務の円滑な運営に著しく支障を来したことは、原判決も認めるところである。

控訴人は、その多面的な活動の内の一つとして本件立看板の掲出を行つたと主張するが、仮にそうであるとすれば、控訴人の立看板に掲げるような意見は、その発表にふさわしい場所と時期と方法によつて、一般国民にその所見を訴えるべきものである。

(3)  本件の新聞記者発表は、定例記者会見によるものであり、当日、大阪国税局長塩崎潤が不在のため、同局長の了承のもとに、所轄部長である直税部長長岡実が立ち合つたもので、その発表の目的は、原判決認定のとおりである。

新聞記者会見における大阪国税局長の発表事実を、新聞紙上に記事として掲載するか否か、どのような内容の記事として掲載するかについては、該新聞社にその取捨選択の自由並びに決定権があるのでありて、特段の事由のない限り、第三者が記事に容かいできるものではない。

そして、その内容は、控訴人が立看板の撤去方をその傘下組合に連絡するよう求めた理由を述べたものにすぎず、控訴人を反税団体呼ばわりして、その名誉を毀損する趣旨のものではない。

(4)  国税通則法の制定は、内閣総理大臣の諮問機関である税制調査会の答申、政府の同法制定理由をみても明らかなように、控訴人主張のような反動的五項目の立法化を目的とするものではないし、かつ、民主商工会は、昭和三八年以前から既に計画的かつ組織的に税務行政に対する妨害やいやがらせを行つてきたものであり、国税当局が昭和三八年六月の事後調査において一方的に強硬手段を開始したものではない。

(5)  昭和三八年六月以前の民主商工会の税務行政に対する妨害行為

(イ) 民主商工会は昭和三三年末頃より再び活発な運動を展開するようになり、それは、まず昭三五年分の所得税の確定申告の時期におけるいわゆる自家労賃非課税闘争となつて現れた。

すなわち、昭和三五年一〇月、松山市で開催された第一五回全商連定期総会は、事業所得について、所得を店主及び家族従業員の自家労賃に相当する部分とそれ以外の部分とに分離し、前者を給与所得とし、後者を事業所得として確定申告書を提出するいわゆる自家労賃非課税闘争を開始することを決定した。

続いて、全商連は、昭和三六年一月、全国常任理事会及び全国事務局長会議を開催し、その具体的な方策として、全国的な規模で確定申告闘争を行うことを決定し、大商連は、この決定に従つて、国税当局の、当該確定申告は現行所得税法に違反するものであるとの警告を無視して、西税務署外一一署に対して四〇七通の分離確定申告書を提出させた。

しかし、全商連は、国税当局の分離確定申告書は違法であるとの一貫した態度を見て、間もなく戦術転換を行い、大商連においても分離確定申告書は逐次撤回され、昭和三六年四月末には、その全部が正常な確定申告書に切りかえられた。

(ロ) 税制において、昭和三六年は、諸控除の引上げ等による毎年五〇〇億円以上の所得税の減税が実施された最初の年に当るが、同年一〇月、箱根で開催された第一六回全商連定期総会は、同年五月の全商連常任理事会の決定した国税通則法制定反対闘争と組織倍加運動を決定した。

そして、この民主商工会員と全国商工新聞読者を次期総会までに倍増する運動は、自家労賃非課税闘争の経験から、民主商工会の主張を政府に認めさせるには、多数の力、いいかえれば物理的な力、団結の力が不可欠な要件であるとの見解のもとに提案されたものであつた。

右定期総会の決定に基いて、全商連京阪神商工団体連合会及び各民主商工会は、大阪国税局長及び各税務署長に対して、次の事項等を要求して、昭和三六年分の所得税確定申告の時期とそれに続く事後調査の時期を中心にして、激しい集団抗議運動を繰り返すとともに、会員倍増のために活発な活動を展開した。

1 各種団体会員に対する納税相談に団体役員の立会と助言を認めよ。

2 調査額を納税者本人に開示せよ。

3 営業権を侵す一方的な得意先、銀行調査を中止せよ。

4 年所得五〇万円未満の納税者には自主申告を認めよ。

5 憲法で保障された団体交渉権に基いて、民主商工会との団体交渉を行え。

6 標準率、効率による推計課税をやめよ。

7 不況を認め、納税の猶予期間の延長を行い、利子税を免除せよ。

その後、所得税の調査に関しては、次の事項を要求した。

1 所得諸調査の時間と場所は、納税者が希望する時間と場所で行うこと。

2 所得諸調査の日時を事前に本人に連絡すること。

3 所得諸調査が必要な納税者には、その理由を明らかにすること。

4 所得諸調査は、争点主義によるべきこと。

(ハ) 昭和三七年一〇月、八幡市で開催された第一七回全商連定期総会は、当面の運動方針として、目標達成が実現しなかつた会員の倍加、国税通則法体制の打破、自家労賃非課税等の要求を掲げ、強力な会員獲得運動を推進し、中小企業の営業と生活を守る運動を労働者や農民と提携して行うことを決定した。

そして、これらの運動は、単なる税制改革運動ではなく、日韓会談反対闘争や地方選挙等の政治闘争の一環をなすものとして位置づけられたものであつたが、昭和三七年分の所得税の確定申告について言えば、この闘争は、次のような主張となつて現れた。

すなわち、税務署の実施する納税相談に応せず、集団申告によつて自主申告をつらぬき、税務行政については、「数は力なり」の標語の下に、倍加、三倍加した集団の力を背景に、税務署に団体交渉権を認めさせ、一方的な推計課税を排除するというのである。

このような主張に基いて、大商連は、昭和三七年一〇月に第一七回定期総会を開催して、昭和三七年分確定申告について、次の事項等を要求する決議を行い、国税局長に対して決議書を提出した。

1 現在の経済不況を認め、所得を上げないこと。

2 われわれから取りすぎた税金を減税に廻し、年所得六〇万円まで免税にすること。

3 店主と家族の自家労賃を認め、所得から区分すること。

4 営業権を侵害する一方的な銀行、取引先調査を即時廃止し、自主申告を認めよ。

昭和三八年三月、昭和三七年分所得税の確定申告の時期には民主商工会員が集団で税務署周辺に集まり、場合によつてはデモ等の示威運動を行つた後、税務署内になだれ込み、各人が一時に確定申告を提出したり、民主商工会事務局員が多数の会員の確定申告書を一括して提出したりしたため、一般納税者に対する納税相談や確定申告書の受付事務が阻害されただけでなく、一般事務も一時中止されるという事態すら生じた。

(ニ) このように、民主商工会の活動は、全国的な組織活動と事務局を中心とする統一された指導万針の下に短期間に会員を倍増するという方策をとる一方、集団的な力を背景に、政治的色彩の濃い運動を展開していたのであるが、同会の税務行政に対する日常活動も、次第に過激かつしつようの度を加えてきていた。その具体的な行動は、全国的にほぼ共通しており、これを類型化すると、集団抗議等による威圧、調査拒否、調査妨害、集団申告、民主商工会員に対する課税水準の低下に分けることができる。

昭和三七年度分所得申告までにおいて、既に民主商工会による種々の調査妨害によつて、民主商工会員に対する課税水準は、他の一般の納税者に比して著しく低下しており、国税当局においても課税の公平上、民主商工会員に対する厳正な調査をせざるをえない状態になつていたのである。かような状況のもとで、昭和三八年六月から昭和三七年度分所得申告に対する事後調査が開始されたのである。

このような経緯に照らしても明らかなように、昭和三八年六月の事後調査において、国税当局が一方的に民主商工会に対し強硬手段をとつたものでないことは容易に理解できよう。

(三)  証拠〈省略〉

理由

次に記載する外、原判決の理由を引用する。

〈証拠省略〉中原審認定に反する部分は、右認定の資料と対比し採用し難く、他に右認定を左右する証拠はない。

右認定、判断に反する当事者双方の主張は、いずれも採用しない。

要するに、以上認定の当時の諸事情に徴すると、昭和三九年三月三日、当時大阪国税局長であつた塩崎潤が原判決添付の別紙(二)記載の要求書を控訴人に送付し、大阪国税局庁舎内において前記各新聞の新聞記者十数名と記者会見をして、その席上前記要求書と同趣旨の発表をした行為は、右要求書の記載ないし発表の内容、その告知、発表の方法においても、また、その効果においても、控訴人の名誉または信用を違法に毀損するものに該当しないばかりでなく、控訴人の言論、結社の自由を違法に侵害する不法行為にも該当しない。けだし、控訴人の主張によると、控訴人は、大阪府下在住の中小零細商工業者をもつて組成された府下単位民主商工会を構成員とする連合会で、右中小零細商工業者の営業と生活と権利を守ることを目的とする法人格なき社団であつて、重税反対、融資要求、日本の独立と平和のための闘争等の運動を通じて、前記目的の達成に努力して来たと云うのであるから、このように、もつぱら大衆の利益や福祉のために政治的社会的運動をする結社にはいわゆるプライバシイはないから、その運動方針ないし運動行為に関しては、何人といえどもその是非善悪を論評する自分の意見を公表する自由を有しているのであつて、右意見がたまたま非難攻撃的なものであつても、その内容において虚偽の事実の公表や侮辱的な言辞の使用を含まず、その公表の方法や効果において相手方の権利を違法に侵害するものでないときには、これを名誉、信用の毀損、その他の不法行為に当ると云うことはできないところ、前記要求書の送付およびこれと同趣旨の発表は、控訴人の前記運動方針ないし前記立看板掲出等の運動行為に対する被控訴人の意見と法律上被控訴人に許された対策とを通常の方法をもつて告知、発表したものに過ぎず、その内容においても虚偽の事実の公表や侮辱的言辞の使用を含んでいないし、その方法、効果においても控訴人の権利を違法に侵害するものではないからである。

控訴人は、右要求書の送付およびこれと同趣旨の新聞記者に対する発表は、控訴人ないし中小零細商工業者等を威嚇して畏怖せしめ、これによつて前記運動方針に基づく控訴人の言論活動を弾圧し、控訴人結社への新加入の阻止、在来の結社員の脱退による控訴人結社の解体を目的とする行為であつて、実際においても被控訴人所期の効果を著しく発揮したから、控訴人の言論、結社の自由を違法に侵害する不法行為に該当する旨を、るる主張するのであるが、以上の説明から明らかなように、被控訴人の右所為は、被控訴人を論難する控訴人の言論に対抗してその効果を削減すべく、法律上被控訴人に許された言論を用いて、或いは控訴人を説得せんとし、或いは世間一般に控訴人の運動の方針や活動に対する被控訴人の見解や法律上被控訴人に許された範囲内の対策を公表したものにすぎず、内容、方法、効果のいずれの点においても違法性がないから、控訴人の右主張は採用できない。

したがつて、被控訴人の右行為が違法に控訴人の名誉、信用を毀損し、控訴人の事論、結社の自由を侵害するものであることを前提とする控訴人の本訴請求は、すべてその理由がない。

そうすると、控訴人の本訴請求は失当であり、これを棄却した原判決は相当で、本件控訴はその理由がないからこれを棄却し、民訴法第九五条、第八九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官 長瀬清澄 岡部重信 小北陽三)

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